生き様から学ぶ

高倉健 座右の銘の意味 比叡山・酒井雄哉氏から贈られた「行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

2016/11/23

俳優・高倉健、死去。

2014年11月18日に報じられたそのニュースは、一気に日本全国を駆け巡り、世界の映画関係者をも悲しませた。

訃報が報じられた時には既に近親者による密葬が終わった後。
病名・悪性リンパ腫にて11月10日、83歳の人生を全うし、一人旅立っていた。

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「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

高倉健の座右の銘。

近親者からの報告の中に記されたこの言葉。
この言葉により映画「南極物語」のロケに行く決心がついたそうですが、映画とどういった関係なんでしょうか。

その意味するところと合わせて、色々見てみましょう。

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■座右の銘に背中を押してもらった?

高倉健の映画では、個人的に一番に印象深いのは「幸福の黄色いハンカチ」。

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世間的には、任侠映画をはじめとして、
 「八甲田山」
 「南極物語」
 「グラック・レイン」
 「鉄道員(ぽっぽや)」
 「あなたへ」と、
どれが好きと聞けば様々な答えが返ってくるでしょう。
薬師丸ひろ子との共演作品「野生の証明」を挙げる方もいるかも知れません。

そんな中、ことロケ地となると際立っているのが「南極物語」。

普通に考えれば、え?南極(や北極)でロケなのか...どうしよう...
という感じになるのでしょうか。

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
高倉健の座右の銘。

報道では、この座右の銘に背中を押されて「南極物語」への出演を決意したとあります。

まるで、南極物語の撮影は危険極まりないのでビビッてしまい、この座右の銘に出合い、背中を押されてやっとこさ出演した、みたいな印象を与えます。

あの高倉健が南極にビビッて出演を悩んだ、でも座右の銘に勇気をもらって出演した、みたいな美談に仕立てるような報道の仕方。他にも共演者やスタッフも沢山いるのに、あの高倉健が座右の銘に勇気をもらって出演を決心した?

どうもこの「座右の銘に背中を押されて」というのには違和感を感じます。いや、これはちょっと違うでしょう。

少し斜めな捉え方しちゃってますが、何か別の背景があるのでは、と...

■行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし

まずは、座右の銘、
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
の意味を見てみることに。

『大無量寿経』の中に記された言葉

これは、既に故人となられている天台宗比叡山延暦寺の大阿闍梨(高僧です)・酒井雄哉氏から高倉健に贈られた言葉。

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大元は浄土教の聖典の一つである『大無量寿経』の中に記された言葉です。
「假令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」

「法蔵菩薩の物語」というページに詳しく書かれてますが、
これは法蔵菩薩が自らの願いをかなえるために述べた言葉。

(法蔵菩薩は、遠い遠い昔の昔、ある国の国王が世自在王仏という仏様の教えを聞き、自分も仏となって世の人々を救いたいと、全てを捨てて修行の道に入り法蔵と名乗った。これが法蔵菩薩。阿弥陀仏の修行時の名前とされてます)

その言葉が、

  • たとい身を
    諸々の苦毒の中におくとも
    我が行は精進にして
    忍びて終に悔いじ

この前半2行は省略されて、後の2行が高倉健の座右の銘、

  • 「行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

になるんですね。

して、その意味は?

法蔵菩薩様には、非常に強い願い、一切衆生をたすける仏になろう、明るい世界をこしらえよう、という非常に強い願いがあり、どんな苦毒の中に入っても、私は悔いぬ、どんな難儀なことがあっても、それを忍んでゆく力がある、むしろ、それが面白いと。

人の心に一つの願いがハッキリ起こったら、悩みだとか、腹が立つ、寂しいとか、いろいろのものは忍んでゆける。
自分の中心の願いがハッキリしておらんとウロウロするのである。

つまり、高倉健、座右の銘は、

  • たとえどんな過酷な状況に身を置こうとも、
    自分の進むべき道、人生を精進し、
    必ず訪れる死を忍び、後悔のない最期をむかえる

という意味になりますね。

■決心の背景への手がかり

「座右の銘に背中を押されて南極物語への出演」の意味合いを調べるための手掛かりとして、以下2つのニュースがあります。

・健さん死す 遺言残しスターのまま

日刊スポーツの「健さん死す 遺言残しスターのまま」という記事
ここに高倉さんの座右の銘について、

「この言葉を阿闍梨さんにいただいて、『南極物語』をやろうと決めました」と語ったこともある、

との内容があり、つまり当時インタビュー等でお話されたようですね。
このあたり、当時の記事などさがしてもインターネットもない昔の話、
私の探した範囲では記事はありませんでした。

・映画『南極物語』のメッセージ〜30年の時を越えて

PDFファイルですが、国立極地研究所発行の「極」という雑誌。

no9_2013 2013年 夏号 No.9(PDFファイルが開きます)

国立極地研究所の創立40周年と映画「南極物語」の30周年を掛け合わせた特集号。

ここで、プロデューサー⻆谷優さんと、第2次南極観測隊の隊員であった吉田栄夫さんの話しがのっていて、高倉健さんの事も語られてました。

■南極物語の撮影エピソード

この国立極地研究所発行の特集号、簡単にご紹介すると...

・そもそも映画で「南極物語」なんて大丈夫?

「そんな犬がうろうろするだけの映画で人が呼べるのか!」

などといわれ、先行き絶不調だったこの映画。
だからこそ大物俳優を主役添える必要があり、このストーリに似合う、人が呼べる、第一級の俳優と言ったら、高倉健しかいなかった。

犬がうろうろするだけの映画~

いやまぁ、大雑把に言えば、確かにそう言えますけど。^-^;)

・高倉健に打診すると...

大物俳優、高倉健。
望みを託し打診してみると、

  • ぼくは寒いところはもう十分なんですよ

だー! そのころ高倉健、「八甲田山」に「動乱」、「駅」に「海峡」と立て続けに寒い場所の映画ばかり。

そう、まず寒いのはちょっとしばらくはいいかな、という思いがあったんですね。

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・OKの返事はいつ?

そして、そのまま高倉健とは連絡が取れず。

いよいよ制作発表の日も間近に迫り、あー、どうしようどうしよう。
もう明日、が制作発表だ。もう人を変えるしかない!

と思っていた矢先に製作発表の前日、
高倉健から監督宛てに電話が入り「引き受ける」と伝えられた。

なんと前日!

・高倉健の決意

それまで、寒い所での映画が続いていたので、また寒いところはちょっと、との思い、しかも南極だし...、ということで考えあぐねていたのでしょう。

一度は色よい返事を出せず、そこから制作発表の直前までの間に、比叡山延暦寺の大阿闍梨・酒井雄哉さんとお会いして色々お話しする機会があったんですね。(多分)

そのお話の中で、後に座右の銘となる「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」のお話もお聞きになったのでしょう。

上の方に出てきた「法蔵菩薩の物語」というページと同じような内容を延暦寺の大阿闍梨・酒井雄哉さんがお話になったとしたら、「自分の中心の願いがハッキリしておらんとウロウロするのである。」みたいなこともお話になったのかも知れません。

  • そうか、また寒いところか、なんて言ってないで、
    俺はあの話は受けてどこまでも突き進まないとダメなんだ。

と言ったかどうかは勿論分かりません。

言葉は違うでしょうが、このような感覚で、座右の銘に「背中を押されて」、というよりは「諭されて」、制作発表の前日にはなったものの、監督あてに出演OKの連絡を入れたのでは、と想像します。

制作発表会では、勿論「主演は高倉健さんに決まりました」と発表すると、記者達はドッっとわいたとか。大物俳優の主役出演で、俄然勢いがついたんですね。

この映画・「南極物語」について高倉健は後に「映画はボクのすべて」と語っています。
どういった質問に答えての発言かは分かりませんが、多分撮影は大変だったでしょう、みたいな内容に対してのものではないでしょうか。

この言葉に自分の中心の願いが明確になり、もはやウロウロしないそれまで以上に強い意志を持った映画人・高倉健を感じます。

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・南極の撮影はどれほど危険だったのか?

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

南極の撮影は、出始めからかなり大変。

そもそも南極なんて簡単に行ける所ではないため、始めは南極観測隊に同行させてほしいと文部省に何度もお願いしたようですが、当たり前のように断られます。

いやだって、民間人、それも映画撮影のために、大事な任務の観測隊に同行させるなんて、当時(今でもそうだと思いますが)の文部省が許可を出すはずがない。

でも自分たちだけではいけないし、と四方八方手を尽くすと、やっとのことでニュージーランドの観測隊に受け入れてたと。でも南極に向かう途中、船は揺れに揺られて、監督は肋骨を3本も骨折することに。

そして大変なのはブリザード(猛吹雪を伴う強風のこと)。
目の前が真っ白で、ひどい時は自分の手の先も見えないほど。目の前の建物さえもたどり着けないぐらいなんですね。

・高倉健はどうだった?

2度目の南極ロケでは、高倉健もブリザードで大変でした。

テントで寝袋に入って休んでいると、ブリザードでテントも何もかも吹き飛ばされた。

もう寝袋に入ったまま転がってしまうは、すぐそばにはクレバスがあるわで、さすがに命の危険と隣り合わせなシーンもあったようです。

・エピソード

面白いエピソードも書いてあります。

沢山の犬がそりを引くんですが、
中には引いてるふりして上手にさぼる犬もいたりするとか。

集団になると人間でも動物でも同じです。
何割かは一生懸命、何割かは普通、何割かはサボる、という形になるんですね。

・その他

この特集号、この南極物語の漫画による大体の内容もあり、また南極のその他の事も色々書いてあるので、一度読んでみると楽しいですよ。
2013年 夏号 No.9(PDFファイルが開きます

■映画・南極物語について

1983年(昭和58年)公開。(今から34年も前)

予告編はこちら(youtube)

南極大陸に残された兄弟犬のタロとジロ、そして越冬隊員が1年後に再会する実話を描いた作品。

北極ロケを中心に少人数での南極ロケも実施。撮影期間3年余。

・高倉健の役どころ

潮田暁 第1次・第3次越冬隊員。
有能な地質学者で犬係。

・タロとジロの再開シーンは1年半!

高倉健と「タロ」と「ジロ」に再会するラストシーンは、撮るのに1年半かかったとか。

最初は北極で撮る予定が結氷しなくて中止、更に帰国して北海道で撮ろうとしたら、これも結氷しなくてダメ。

結局、アラスカのロケで撮ることに。

・補足

現在の南極では、自然環境保全のため、犬の持ち込みは禁止されている。
あれ?じゃぁ、犬そりとかはどうしてるんでしょう?
(現地で飼育されている犬たちに頼む?)

その他参考 「南極物語」の思い出/菊池徹氏手記

日本南極観測隊・第一次越冬隊 菊池徹氏が生前に書いたもの。
南極物語のエピソードが色々と語られてます。

http://www.polarcruise.jp/article/14100893.html

■天台宗大阿闍梨・酒井雄哉が語る高倉健

高倉健の随想『旅の途中で』

天台宗大阿闍梨・酒井雄哉(さかいゆうさい)さんとの対談を紹介しています。
とても興味深いこのページ。是非一度見てみてください。

以下抜粋です。

健さんのそういう生き方を観せてもらうようになって、
あの人はお侍さんやと思う。
どんな仕事でも命を賭けてやっている。
軽く流すことは絶対にしない。
普通の人なら、来た仕事は一応全部引き受けて、
こちらは軽くいきましょう、
こちらは大事やからしっかりやりましょう、
そんな計算が働くけどね。
そういうことが大嫌いな人やと思う。
すべてに命懸けで、いつも刃の上を歩いているような、
そんなお人やと思う。

中略

自分に課せられた人生。
仏様からいただいた人生を、
「これだけ燃えつきました」
高倉健はそう言って逝ける、
数少ないお人やと思います。


偉大な方々の残した生き方と言葉たち。
各々が深く重く、ちょっと触れるだけで、身が引き締まる思いです。

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