武豊を背負い投げして骨折させた馬の名前はトーセンデューク。思い出すのは涙のサイレンススズカ
2016/11/23
競馬界のスーパースター・武豊。
騎手デビューは1987年(昭和62年)。以降、数々の記録を更新し「天才ジョッキー」と称される。
家族はと見れば、父は元騎手、兄はスポーツライター、弟も騎手、祖父は馬主協会元会長、曽祖父は日本の競馬の立役者の一人・函館大経の弟子、おじは元調教師、と日本でも有数の競馬一族。
活躍も数知れず、勝つのが当たり前の感のある武豊ですが、2014年7月には落馬し骨折をしてしまいました。その後は無事復帰し勝利もして一安心、といったところですが、このニュースにふと思い出された、かつての名馬「サイレンススズカ」。
ここでは今回の武豊の落馬と、名馬サイレンススズカについてちょこっと見てみましょう。
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■武豊 プロフィール
- 武 豊(たけ・ゆたか)
- 生まれ 京都府京都市伏見区淀生(滋賀県栗太郡栗東町育ち)(現・栗東市)
- 生年月日 1969年3月15日(55歳)うお座
- 身長・体重 170.5cm 51kg
- O型
■その名はトーセンデューク
時は2014年7月20日。
中京競馬第六レースの1番人気の「トーセンデューク」。騎乗したのはナンバー1ジョッキーの武豊です。
ここまでトーセンデュークには3度目の騎乗していて常に一番人気。この日も一番人気でスタートですが、スタート前のゲート内からなにやら不穏な動きがありました。
そしてレーススタート!が、直後に馬が前傾して武豊は背負い投げされるような形で吹っ飛ばされます。幸い右手親指付け根の骨折だけだったが全治約1カ月。
スタート前のゲート内でも馬の動きが挙動不審。そしてレース開始直後に馬がつまづき吹っ飛ばされる。これでは騎手はたまりません。誰でも落馬してしまいます。
幸いレース開始直後だった為、落馬しても他の馬に踏まれる、というようなことはなく、右手親指付け根の骨折だけ。それでも全治約1カ月で以降騎乗予定はキャンセルせざるを得ない状況に。
武豊落馬後の8月23日のレースでは騎手がかわり1着とってるんですね。トーセンデューク、ちゃっかり者です。
プロフィール
トーセンデュークのプロフィールを簡単に見てみると...
- 生年月日 2011年03月05日
- 調教師 藤原 英昭(栗東)
- 生産者 社台ファーム
- 通算成績 4戦1勝
- 兄弟馬 ゴールドマイン, サトノエンペラー
武豊はというと、8月31日には無事復帰、9月7日の小倉・若戸大橋特別で1番人気「キングストーン」に騎乗で見事勝利しました。良かったですね。ふぅ~。
■その名はサイレンススズカ
武豊、落馬。
そんなニュースを聞いて思い出したのはあの名馬、サイレンススズカ(1997年~1998年)。
競馬に興味がない人は知らないかも知れない。でも競馬ファンなら忘れもしない、あの稲妻のような走りで芝を駆け抜けたサラブレッド。
その圧倒的な速さで後続を突き離す、大逃げというレーススタイルで一世風靡したサイレンススズカ。デビューは1997年2月1日。
その走りを見た武豊にして「皐月賞もダービーも全部持っていかれる。」と言わしめる。武豊は騎乗を自ら申し出て、その年の終わりの香港国際Cにサイレンススズカと共に参戦。この時から武豊とのコンビが始まった。
連戦連勝の稲妻
1998年には連戦連勝。他の追随を許さないそのスピードで向かうところ敵なしで突き進む。5月のレース(金鯱賞)ではミッドナイトベット(5連勝中)、タイキエルドラド(4連勝中)が出走するという非常にレベルの高いレースにもかかわらず、なんと11馬身差をつけての大差勝ち。
あまりに大差過ぎて最後のコーナーを回ったところで観客から笑いが出てしまうといった伝説的な早さを見せつける。文字通り、もう笑うしかない状態。
そして最強馬を決める檜舞台は、念願の秋の天皇賞。14万の観衆が見守る中、その事件は起こります。
飛び交う悲鳴
1998年11月1日。舞台は第118回天皇賞。
ここでも圧倒的人気を誇る「サイレンススズカ」。レースが始まってみれば2番手以降を大きく引き離し、テレビの中継も目いっぱい引かないと他の馬が映らないほど。
そのレースを見守る全ての人は、とてつもないレコードで勝利するサイレンススズカを想像していたことでしょう。が、突然の失速。2番手が横を駆け抜け、後続の馬も次々に横を駆け抜ける。
この信じられない光景に飛び交う悲鳴、どよめく観客、異様な雰囲気に包まれる競馬場。驚いたのは観客だけでなく、横を駆け抜けた馬の騎手たち全てもがサイレンススズカを見つめてた。
誰も1着でゲートを通過した馬を見ていない異常事態。全ての目はサイレンススズカに注がれていた。当時の司会も思い入れ強かったのか、放送中にもかかわらず言葉を詰まらせ涙ぐむ。
誰もが感じた予感
競馬ファンなら直感で分かる最悪の事態。左前脚の手根骨粉砕骨折。サイレンススズカの左前足は砕け散ってしまっていた。競走馬に致命的な足の骨折。もう走れない。
既に立っている事さえ困難だった状態、それでも砕けた足を引きずり次々と後続から迫りくる馬をよけながらコースアウトするサイレンススズカ。通常なら立っていられないほどの激痛が走っているはず。
「あれほどのスピードで走って骨折しても転倒をしない馬なんてそうそういない」、「サイレンススズカが自分を振り落とさないために、痛みを押して転倒しないように踏みとどまった気配をはっきり感じた」(武豊)
原因は不明
こうなってしまった馬はもう助からない。激痛で苦しんでショック死する前に薬による安楽死。
原因は不明。武豊がレース後に残した怒鳴るようなコメントは「原因は分からないのではなく、ない」。あまりの出来事に生まれて初めて泣きながら泥酔したと言われている。
なぜに安楽死なのか
馬、特にサラブレッドにとって骨折や脱臼は、人間と違ってそれこそ命取り。
その重い体を支えるために足が1本欠けると他の3本の足への負担は大きく、唯でさえ血が通いにくい足の先がその負荷から血が通わず壊死を起こしたり激しい痛みを引き起こす。
これは蹄葉炎(ていよう えん)と呼ばれ治せない。馬はその激痛から衰弱死したりショック死したりしてしまう。
馬には感情があるのか?
馬にはどんな感情があるのでしょう。
自分を振り落とさないために、痛みを押して転倒しないように踏みとどまった気配をはっきり感じたと語った武豊。
騎手に対する馬の想いはどれほどのものなのかは分かりませんが、人間でも近い関係の人しかわからないこと、家族でしかわからないことがあるように、世話をしている人、騎手と馬の間でしか分からないこと、っていうのがあるのだろうと思います。
11月1日の11レースで1枠1番。ラストランとなった天皇杯。
「最初から全力で走り過ぎちゃうというか、サラブレッドの本質の塊のような馬だった」(武豊)
競馬の歴史を遡れば、沢山あるこういった話。
またの機会に数々の話を残した名馬たちを是非振り返ってみたいですね。